会社沿革 HISTORY 歴史 久保田 耕作(創業者) 明治38年生まれ 現在のAIG損害保険株式会社(旧富士火災海上火災保険株式会社)に入社。 株式会社 久保田保険事務所の礎を築いた。 社会人大学生として明治大学にて学ぶ。 1971年死去。 久保田 稔(現 相談役) 昭和36年学習院大学卒業後、日興證券に入社。営業・雑誌編集を経験。 昭和44年富士火災海上保険に入社。 平成02年スーパーロイヤルクラブ会員に認定される。 火災部門日本一、収支残部門日本一の成績を挙げる。 平成10年株式会社久保田保険事務所を設立。 現在営業の傍ら執筆、講演活動に従事。 著書に 「高い保険のすすめ」(PHPエディターズグループ) ※丸善本店ビジネス部門1位。 「”いざ”に役立つほけんの選び方」(中経出版) 「私の保険道」(保険銀行日報社) 「あなたの保険は出ません」(PHP研究所) ※紀伊國屋書店新宿本店ビジネス部門1位。 〜久保田保険事務所92年の歩み〜 久保田保険事務所は昭和7年から東京都北区で久保田耕作・久保田稔が約92年にわたって保険に携わり、現在で三代目になります。 「保険料は相談料である」という精神をもって、お客さまの信頼にお応えするを経営理念とし、昭和44年に先代の久保田稔が参加し、平成10年2月に法人として再出発いたしました。 日本の保険の歴史は約100年、福沢諭吉が江戸から明治に時代が移りゆく頃の1880年に海外の近代保険制度を模範に、日本最古の保険会社を設立したことが始まりです。 祖父の久保田耕作からは、第二次世界大戦の時にお客様と一緒に防空壕に入った話などよく聞いたものです。 その後、医療費の増加に対応して、「医療保障」を組み込んだ保険商品ができたり、がんの増加に伴い、「がん保険」ができたりと、火災や死亡保険以外にもたくさんの保険の種類が誕生。 我が社も保険代理店として、日本の保険の歴史とともに歩んでまいりました。 祖父の久保田耕作は今でも、お客様のご家族から感謝されています。 お客様は、80年前に祖父がご提案した保険で、自宅が全焼しても久保田耕作さんにあの時助けてもらったのだと、孫やひ孫にまで代々感謝を語り継いでくださっているのです。 「80年前のことをですよ!?」 私たちがこのお話をお客さまから伺った時に、やはり保険は本当にいいものだと心から感じました。 もし、ご主人や社長が亡くなったり、事故にあったりなど、何かあった時に「大丈夫?」や「何かできることはある?」など、お声がけされることはあると思います。 しかし、その時に本当にお金というのが必要なのが現実です。 私たちはそんな現実を何度も見ています。 いざという時に救ってくれるもの、自分たちを守ってくれるものはやはり保険なのではないでしょうか。 何かが起きて本当にどうしようかと先が見えなくなった時に、言葉はもちろん嬉しいのですが、実際に保険金をお届けできることが一番のお役立ちではないでしょうか。 もしもの時にお客様とご家族をお守りすることができる。 そのために働くことほど、誇らしく、やりがいのあるものはありません。 それは祖父から父へ、父から私たちへ三代脈々と受け継いできました。 70年経っても、祖父はヒーローのように今でも感謝をされているという事実を私達はとても誇りに思うとともに、ありがたく感じています。 目立たない仕事ではありますが、私たちはみなさんにお役立ちできる、ありがたい仕事をさせていただいています。 私たちは一生、保険を通じてお客様をお守りします。 三代目としての「覚悟」を持ってお客様の「人生のまさか」の時をしっかりと守り、安心して幸せに生きるためのご提案をしていきたいと考えております。